お久しぶりです。
 

ご報告が遅くなってしまいましたが、1月3日に元気な男の子を出産しました。 
 
ゆう手


現在すくすく成長中! 
早いもので、生後7ヶ月を迎えました。 
 

現在は息子と津南に戻っており、穏やかに過ごしているところです。 
 

 

さて、昨年の12月からお休みしているClassic Labですが、お休み中もLINE公式アカウントでは「私の表現プロセス」をお届けしています。。。
 

いえ、正確には「していました」です……
 

LINEアカウントを登録してくださった方はご存知だと思いますが、実は産後なかなか送ることができずにいました。 
 

登録してくださった皆さんには、本当に申し訳ない思いです。 
 
 
 産後に生じたいろいろな思いのなかで、なかなか言語化することができずにいましたが、やっと心も生活も落ち着いてきたので、ここでちゃんとお伝えしたいと思います。 
 



実は、「感覚にすなおになる」ことができなくなってしまったのです。 
 

今まで散々、宿泊体験や研究室でお伝えしてきた、私が大事にしていたこと。 


それができなくなってしまったのです。 
 

それにはいくつか理由があります。 
 

今まで、皆さんに「感覚にすなおになる」ことを勧めてきた身として、すなおな感覚と思い、そこから巡った思考を、ここにきちんと言語化しておきたいと思います。






出産を辛い記憶にしたくなかった

 まず一つ目の理由は、「出産」という経験に対して生じた自分の気持ちを整理できなかったことでした。
 

私、出産を経験するまでは、「出産ってしあわせなもの」だと思っていました。

「陣痛は辛い」
「痛い」
 
とは聞くけれど、それ以上に子どもが生まれた喜びで溢れているんだろうな、と。 
 

でも、実際は思ったより辛かったんです。 
想像とは違いました。 
 

私の場合は、予定よりもかなり早い時期の出産になったことや、最終的に帝王切開になったこともありますが、 
 

想像と違う状況が次々とやってきて、頭も心もついていかないうちに出産……
 

産んだ直後は放心状態でしたが、時間が経つごとにモヤモヤした思いが溜まっていきました。 


産後の痛みも相まって、しばらくはよく泣いていました。 
 

自分の感覚にすなおになると、「辛い」、本当に辛かった。 
 

でも、子どもが生まれるしあわせな瞬間なのに、辛いと思ってしまうことが、子どもに申し訳なくて。 
 

毎日毎日辛くて涙が出て、でも横には何もできずに眠ったり泣いたりする子どもがいて、「大丈夫、大丈夫」と気持ちにフタをしないと前を向けませんでした。 
 

だから、自分のすなおな気持ちを認められなかったんです。 
 





なにも感じなくなってしまった?

二つ目の理由です。 
 

今まではなにをしていても、ふと風を感じたり、香りの行方を探したり、何かといろいろな感覚がやってきて、思考を巡らせていました。 
 

それが急にできなくなったのです。 
 

子どもと散歩をしていても、なにも感じない…… 
 

どうしちゃったんだろう? 
 
里帰り中で、都会にいるから? 
 

でも出産するまでは、実家の近くを散歩していても、いろいろな感覚と出会うことはできていたのです。 


それが出産してからは、プツンと切れてしまったように、なにも入ってこなくなっていました。






一緒に住みたいという気持ち
 

三つ目の理由は、家族で一緒にいたいと思うようになったことです。 


今まで、我が家は夫婦で別々の拠点を持って暮らしてきました。 


それは互いのやりたいことを尊重し合った結果で、信頼関係のもとに充実した日々だったことは確かです。 
 
しかし、出産を機に、「一緒に住みたい」という気持ちがとても強くなっていったのです。
 

それは「子育てが1人だと大変だから」ではありません。 
 

もちろん大変なこともあります。
 

でも、母と子ふたりの生活は、ペースができてくれば、他の家族にペースを乱されることもなく平穏で落ち着いていました。 
 

逆に同居家族がいっぱいいると、どうしても他の家族のペースに合わせないといけなかったり、やることもたくさんあるし、気も遣って、それはそれで大変そうだなと思います。 
 
(これはどちらがいいということではなく、
一長一短だなということです) 
 

それよりも、自分の気持ちの面で「一緒にいたい」と思うようになったのです。 


それは出産という人生の中でも大きなイベントを経験して、
改めて親への感謝、血縁家族の大切さを痛感したからです。


もちろん血縁がすべてではないけれど、両親、祖父母……と代々そうやって命を繋いできてくれたというのは、ものすごいことだなぁと思うようになりました。 
 

そして子どもが生まれたことを、家族みんなが喜んでくれる。 


そのしあわせな時間をもっと感じていたかったんです。 
 

孫を可愛がってくれる私の両親とも、もっと一緒に過ごしたいと思いましたし、夫とも同じように一緒に過ごしたいと思うようになりました。 
 

ただ、別々に暮らすという選択を一度した私たちにとって、その「一緒に住みたい」という気持ちをどう扱ったらいいのかわからなかったのです。 
 
 




書けない私を救ったのは「自分だけのノート」

自分だけのノート

こうして、「感覚にすなおになる」ことができなくなって、書くことができなくなりました。 


できなくなったのは、怖かったからかもしれません。 

 
書いて、目の前に表現されてしまったら、そのすなおな感覚を認めなくてはいけないからです。 


だからLINEアカウントでも、皆さんに言葉を送ることができませんでした。 
 

書けない間、しばらくは、頭の中だけでぐるぐると考えては、いろんな思いが浮かんだり沈んだりを繰り返していました。 


でも、それでは結局何が問題なのか、何をどうすればこの負のループから抜け出せるのか、いつまで経ってもわからなかったのです。 


そこで、 誰かに向けて書くのではなく、自分の内側へ向けて書く、ということを始めました。 
 

自分しか見ないノートに、その時々のすなおな気持ちを、思うがままに書き出していったのです。
 

頭の中だけで、見えたり隠れたりしていた思いが、ノートの中では全部言葉で顕在化されていきました。


そうして書いていくうちに、自分は本当は何が悲しくて、どうなりたいのか、どうしたらよいのか、整理して考えることができるようになっていきました。
 



「出産は辛かったと思ったっていい」


「人と比べて、幸せをはかっても、幸せにはなれない」


「何も感じなくなってしまったのは、他のものに目がいかないくらい大事な存在ができたから」 
 

「一緒に住みたいって自然な思いで、なにも悪いことはない」


「すぐに答えを出さなくてもいいじゃない」




そうやって思えるようになっていったんです。
 

結局、私を救ってくれたのは、書くことでした。 
 
 

書けないときこそ、自分に向けて書こう
 
「書く」って、なにも人前に出さなくてもいいんですよね。 
 

人前に出そうと思うと、
 



この文章で大丈夫だろうか 
 
あの人にはどう思われるだろうか 
 



そうやって、いろんな不安が押し寄せてきます。 
 

だからといって、自分の内側に、目に見えないモヤモヤしたものを留めておくのは、結構しんどいものです。 
 

そんなとき、自分に向けて書いてみる。 
 



誰にも気を遣わずに、
 

文章の良し悪しも誤字脱字も関係なく 
 

なんなら走り書きでもいい 
 
 
答えを書かなくていいんです。 
 



思ったそのものを、いま、書き留める。 
 

その日は書くだけ書いて、ノートを閉じればいい。 
 

また、新しい一日にそのページを見返してみたら、書いたときには気づかなかった本当の気持ちに気づくかもしれない。 
 

私はそうやって、少しずつ自分のすなおな気持ちと付き合ってきました。 

 

そうしてまた、書くことができるようになりました。 
 



 
今後は、ストップしていたLINEアカウントの方も、随時配信していきたいと思います。 
(登録してくださった方、大変お待たせしました!) 
 

まだ登録していない!という方はぜひ、こちらもご覧ください。 

わたしの表現プロセスを公開します

LINE公式アカウント「感覚あつめ」と「思考めぐり」の部屋




LINEアカウントでは、私からの配信だけではなく、登録者からも「ことば」を送ってもらっています。


ですが、今回の私のように「書けない」「書きたくない」というときは、送らなくても構いません。 
 

そんなときこそ、「自分だけのノート」に書いてみてください。 


自分の中のモヤモヤとどう付き合ったらいいかわからないとき、その答えは自分の中にしかありません。 

 
「自分だけのノート」には、そのヒントがたくさん綴られていくはずです。

 









Classic Labはわたしからみなさんへ、
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一緒に感じ、考えていくコミュニティです。


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