2014年の春、新潟県妙高市にある「国際自然環境アウトドア専門学校」に入学しました。
妙高では、授業内外で様々な地域の方との出会いがあり、そのすべてが衝撃でした。
一緒に山菜を採りに行ったおばあちゃんは、
崖のようなところをあっという間に駆け下りていき、
かごにたくさんの山菜を詰めて戻ってきました。
近所で野菜を直売してるおばあちゃんは、
いつも白菜とかキャベツとかをまるまる1個おまけしてくれました。
蛍を見に行ったときに、たまたま話をしたおじさんは
それ以降何度も学校に野菜を箱詰めで届けてくれました。

わら細工を教えてくれたおじいちゃんの手は魔法の手みたいで、
たった一粒のお米から、これだけたくさんの恵みをいただいていること、
捨てるところなく、その恵みを最大限生かして暮らす人々の「知恵」や「生き様」に感動しました。

いつも耕運機リアカーみたいなのに乗って
通り過ぎるおじいちゃんとおばあちゃんは
ふたりともにこにこ仲睦まじくて
「あんな夫婦になりたいなぁ」と憧れました。
雪国で生きる人たちは、たくましく、しなやかで、あたたかかったのです。
そんな人たちの姿に、いつしか
「もっとここに生きる人たちのことを知りたい」
と思うようになっていました。
ですが、その頃の私は
表面的な部分しか見えていなかったし、
「体験」をしたにすぎず、
もっと地域に入り込んで、暮らしのあれこれを学びたい
と思いました。
また、自然保育について学ぶ中でも、
子どもの育ちを考えるときに
「保育」という面だけではなく、
一連の「暮らし」のなかでの「保育」を考えるようになっていました。
保育の世界に戻るとしても、
私はまず土台となる「暮らし」を豊かにすることが必要なのだと
もっと単純に言えば
「暮らし」をシンプルに見つめたい
という思いが1番でした。
それゆえ、私は雪国に残る選択をし
今はご縁があって、妙高と張る豪雪地「津南町」に住んでいます。
あの頃の思いは今も変わらず、
ぐんと地域に入り込んだ今は
雪国の暮らしの魅力にどっぷり浸かってしまいました(笑)
妙高では、授業内外で様々な地域の方との出会いがあり、そのすべてが衝撃でした。
一緒に山菜を採りに行ったおばあちゃんは、
崖のようなところをあっという間に駆け下りていき、
かごにたくさんの山菜を詰めて戻ってきました。
近所で野菜を直売してるおばあちゃんは、
いつも白菜とかキャベツとかをまるまる1個おまけしてくれました。
蛍を見に行ったときに、たまたま話をしたおじさんは
それ以降何度も学校に野菜を箱詰めで届けてくれました。

わら細工を教えてくれたおじいちゃんの手は魔法の手みたいで、
たった一粒のお米から、これだけたくさんの恵みをいただいていること、
捨てるところなく、その恵みを最大限生かして暮らす人々の「知恵」や「生き様」に感動しました。

いつも耕運機リアカーみたいなのに乗って
通り過ぎるおじいちゃんとおばあちゃんは
ふたりともにこにこ仲睦まじくて
「あんな夫婦になりたいなぁ」と憧れました。
雪国で生きる人たちは、たくましく、しなやかで、あたたかかったのです。
そんな人たちの姿に、いつしか
「もっとここに生きる人たちのことを知りたい」
と思うようになっていました。
ですが、その頃の私は
表面的な部分しか見えていなかったし、
「体験」をしたにすぎず、
もっと地域に入り込んで、暮らしのあれこれを学びたい
と思いました。
また、自然保育について学ぶ中でも、
子どもの育ちを考えるときに
「保育」という面だけではなく、
一連の「暮らし」のなかでの「保育」を考えるようになっていました。
保育の世界に戻るとしても、
私はまず土台となる「暮らし」を豊かにすることが必要なのだと
もっと単純に言えば
「暮らし」をシンプルに見つめたい
という思いが1番でした。
それゆえ、私は雪国に残る選択をし
今はご縁があって、妙高と張る豪雪地「津南町」に住んでいます。
あの頃の思いは今も変わらず、
ぐんと地域に入り込んだ今は
雪国の暮らしの魅力にどっぷり浸かってしまいました(笑)



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