
先週、今週と、小学校の運動会を見に行ってきました。
保育士時代に担任していた子どもたちの、小学校生活最後の運動会。
以前はしゃがんで目線の高さを合わせていたけれど、いまとなっては目線の高さがおんなじ。
すっかりおおきく、たくましくなっていて、
じんわり、目頭が熱くなるのを感じました。
「先生、いまも保育士しているの?」と聞かれ、
「いまはやっていないんですよ〜」と答えつつ、
職種は違っても、 どんなスタンスで仕事するかや大事にしていることは、当時と変わっていないなぁということにも改めて気づきました。
どんな仕事にも共通する「誰かになにかを伝える」こと
この子たちが小学校に上がるとき
「保育所児童保育要録」という書類を小学校に提出していました。
これは、保育所から小学校への円滑な接続をサポートするために、保育所でその子どもがどのように育ってきたのかを小学校へ伝えるためのもの。
年長担任になると、いままでの保育所生活でのその子の育ちを踏まえて、この書類を作ることが大きな、大切な仕事となります。
わたしは2度、年長担任をしたことがありますが、休みも返上して、何度も何度も書き直した思い出がよみがえります。
伝えたいことが届くように。どう表現する?
当時は、仕事とはいえ、自分の家族よりも、恋人よりも長い時間を一緒に過ごしていた子どもたち。
そんななかでの、人間ひとりのさまざまな変化や育ちは、簡単に表現できるものではありません。
「〜ができる/できない」と書くことは簡単だけれど
伝えたいことはそこではなくて
できる/できないにしても
その過程でこんなふうに試行錯誤してきた、
葛藤を経験してきた、
こんなふうに変化している、
そういうグレーな部分を伝えることで、
小学校の先生が同じように悩んだときにも、その子の特性や変化していくプロセスをふまえていることで、その子をサポートしやすくするために活用してもらいたい。
そんな思いで作っていました。
実際その保育所児童保育要録に書くスペースは限られていて、その枠のなかにどれだけ立体的にその子の育ちを表現できるかには、かなり頭を悩ませていました。
ことばひとつにしても
このことばでいいのかどうか
もっとしっくりくることばはないか
ことばと向き合う時間でもありました。
その分、ことばの表現力や語彙力は鍛えられたなぁと思っています。
保育と編集。やっていることは変わらない。
そしていま、webメディアの編集・執筆のなかで、取材をさせていただく機会があります。
その取材自体は2時間ほどの短い時間ではあるけれども、
初対面の方に、
普段の会話ではなかなか踏み込めないような大切な部分を聞かせてもらうこともあります。
それは、単にテーマに対するお話を聞くということには収まらず、その人の人生のものがたりを体感させてもらうような時間です。
その記事を書くときには、もちろんテーマに沿ったものを書くけれど、その背景にどんなプロセスがあったのか、どんな変化のなかでいまがあるのか、
一方向から見た決めつけではなく、
立体的にその人自身が伝わるように、
ことばを選びたいと思っています。
それは、保育所児童保育要録を書いたときと同じスタンスなのです。
保育と編集。
全く違う職種のようだけれど、
やっていることの本質は変わらない。
そのなかで培ってきたスキルも、生かしようによっては、いくらでも汎用性があるということを実感しました。
時代の流れに翻弄されないためにも
これからの時代、ひとつの会社に入って一生食べていけるという安定は見込めないと思っています。
専門的な資格を持っていれば大丈夫!ということもないだろう、と。
専門性も大事だけれど、その専門性をAIに取って代わられたら……
そんななかで、この職種じゃないと働けない
ではなく
その職種で培ったスキルや経験を
ほかの職種でも生かせるものとして
使っていけるスキル
共通項を見出す視点が大事になってくるなぁと思います。
といっても、編集力に関してはわたしもまだまだ発展途中。
どうしたら立体的に伝えられるのかはいまも悩みながらやっています。
それはどうしても、現実の事実と一人ひとりが見ている主観世界には、ギャップがあるから。
そしてわたしが見ている世界と、読者が見ている世界も違う。
そのギャップを少しでも埋めるためにやるべきことは、実は編集力を鍛えることではないのかも。
そんなお話を次回はしようと思います。



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